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ハンセン病回復者が地域で暮らすために

                                                             (2012年12月)

 法律によってある病気にかかった人たちを社会から排除し、患者やその家族に重大な人権侵害をおこなってきた歴史があります。その病気とは、ハンセン病です。
 2001年5月、熊本地方裁判所において「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」の判決が言い渡されました。その内容は、1907(明治40)年に「癩予防ニ関スル法律」が制定されてから1996(平成8)年に「らい予防法」が廃止されるまで、89年間にわたって行われた国のハンセン病対策が、「誤っていた」ということを認めるものでした。
 この過去の反省に立ち、現在では、ハンセン病療養所の入所者が自分が生まれた故郷で安心して暮らせるよう、「社会復帰」のための支援が国や地方自治体によって行われています。しかし、過去の積み重ねられた誤った認識による影響は大きく、ハンセン病回復者に対する偏見や宿泊拒否などの差別が今なお生じています。
 ハンセン病回復者の人たちが一日も早く人間としての尊厳を回復し、地域で安心して「社会復帰」できるには、ハンセン病そのものや歴史的背景を理解し、誤った認識をなくすことが必要です。


ハンセン病とは
 ハンセン病は「らい菌」の感染によっておこる感染症ですが、感染することはまれで、仮に感染しても発病する人はごく一部の人にすぎません。主に末梢神経と皮膚がおかされる病気ですが、現在では有効な治療法も確立されており、障がいを残すことなく治癒するようになりました。
 このようにハンセン病は普通の感染症で隔離を必要としない病気ですが、かつて国による厳しい隔離政策のもと、自治体や住民が一体となって自分たちの故郷からハンセン病患者を療養所へ送り込むという、いわゆる「無癩県運動」が展開されました。これが人々に偏見や差別を助長し、社会全体に恐ろしい病気という誤解を与えてしまいました。
誤解された理由
 その理由として、まずハンセン病という病気自体のもつ特徴があります。発病して病気が進行すると、末梢神経や皮膚がおかされ運動麻痺や知覚麻痺をおこすことがあり、このため顔や手足に変形が生じて機能を失うこともありました。また、家族内に病気が現れることが多かったため、「らい菌」が発見されるまで遺伝病と思い込まれていたことが、この病気を恐れさす要因ともなりました。さらに、法律による隔離政策が、「隔離しなければならないほど強い感染力を持つ恐ろしい病気」という誤ったイメージを人々に与えてしまったのも大きな一因です。
 これらの誤解が患者だけでなくその家族や親族にまで及び、中には転居、離婚、破談を余儀なくされた方も数多くいました。このように病気によって障がいや変形が生じるという理由で差別することは、決して許されることではありません。
大阪にも療養所があった
 1909(明治42)年、大阪にも隔離収容施設として公立のハンセン病療養所「外島保養院」(現、大阪市西淀川区中島)が開設されました。しかし、1934(昭和9)年の室戸台風により施設が壊滅し、患者をはじめ職員、家族など多くの命が奪われました。
 その後、府内では候補地が決まらず、1938(昭和13)年に岡山県邑久郡(現、岡山県瀬戸内市)に「光明園」として再建され、現在の「邑久光明園」に至っています。
 また、大阪でも昭和初期になると「無癩県運動」が盛んになり、ハンセン病患者を療養所へ送り込むようになりました。
療養所での生活
 全国にある療養所は現在15カ所(国立13、私立2)で、施設内には住居、売店、理・美容店、郵便局、納骨堂などがあり、火葬場が残されているところもあります。また、一度入所すると療養所内で生涯を過す人が多くいたため、治療だけでなく生活水準の向上が重要な課題となり、義務教育機関として小学校、中学校のほか、高校も創立されたところもありました。
 療養所での生活は、時代によって変わっていきますが、医療機関と生活の場が一緒になっていたことは特徴的です。
 昭和初期から20年代ごろにかけての療養所での暮らしは、入所者に労働作業が課せられた一方で、相撲や運動会などさまざまな行事も行われていました。しかし、その実態はともて過酷で厳しいものでした。症状の軽い入所者が重症の入所者の看護をしたり、また入所者への断種や堕胎の強要、監房(監禁室)への収監などその待遇は劣悪なもので、人間としての尊厳を踏みにじる重大な人権侵害が行われていたのです。
 昭和30年ごろから入所者の社会復帰が始まりましたが、入所者の家族の中には世間からの差別や偏見を恐れるあまり入所者との関係を一切断とうとすることが多々あり、そのため入所者が社会復帰しても身寄りがなく、入所者自身も社会からの偏見や差別に耐えかねて再び療養所へ戻ってくる人もいました。
故郷への思い
 療養所の入所者数は2012年5月1日現在で2,134人、平均年齢が80歳を超えています。これらの人たちはすでにハンセン病は治っていますが、病気の後遺症による身体障がいや高齢のため今も療養所生活を余儀なくされています。それでも「らい予防法」の廃止以後、自分が生まれ育った故郷への望郷の念を強く抱き、いつか故郷に戻りたいと願う入所者も少なくありません。このため、現在、国や地方自治体では、入所者が生まれ故郷に戻って地域で安心して生活し復帰できるよう「里帰り事業」や「社会復帰」するための支援に積極的に取り組んでいるところです。
不安を抱えた生活
 このように療養所の入所者の社会復帰を支援していますが、実際に地域で暮らしている元入所者は、未だに人々の間に偏見や差別が根強く残っているため、自分の病歴を話すことができず、医療、介護、住居などに不安を抱えたまま社会生活を送っている現実があります。
 また、療養所に入所せずに地域で療養していた人についても、自分の家族に病歴が発覚するのを恐れ、適切な治療を受けることができずに症状を重篤化させた方もおり、同じ不安を抱えながら暮らしています。
ハンセン病を正しく理解する
 ハンセン病は、現在、治療薬が開発され簡単に治癒します。療養所の入所者をはじめすべての人が完治しています。それにも関わらず、ハンセン病という病気に対するこれまでの誤った認識と、病気による後遺障がいや手足や顔の変形といった外見的なことで偏見の眼差しを向けられ、またホテルでの宿泊拒否など差別的な扱いを受けて人間としての尊厳が踏みにじられた状態に置かれているのです。
 ハンセン病回復者の人たちが一日も早く地域で安心して暮らせるには、私たちがハンセン病に対して正しい理解を持つとともに、ハンセン病に限らず病気ということで人を差別しないという強い姿勢を持つことが必要です。それと同時に、地域で適切な医療を受けることができたり、就労支援や介護保険、障がいの認定などさまざまなサポートも不可欠です。
 そして何よりも、このハンセン病における過去の過ちを、これからの社会で二度と繰り返さないことがハンセン病回復者の人たちの願いなのです。

※ハンセン病はかつて「らい病」と呼ばれていましたが、1996(平成8)年に「らい予防法」が廃止されたとき、それまでの「らい」に対する悲惨なイメージを解消するという意味から「ハンセン病」と改められました。
※「癩」「らい」・・・医学用語、法律用語、歴史的用語として使用しているもので、その他はハンセン病としています。