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戦後65年、平和で安全な暮らしを求めて
〜核兵器のない世界へ〜

 (2010年12月)
 戦後65年と世界人権宣言

 太平洋戦争が終結して今年で65年。あの戦争では、広島・長崎への原爆投下や大阪の街もB29による幾度とない空襲で多くの命が失われ、本市においても機銃掃射や焼夷弾による被害がありました。そのような戦争の記録も半世紀以上が過ぎた今、語り継ぐ体験者が年々少なくなり、戦争があったことさえ忘れ去られようとしています。
 戦争は最大の人権侵害であると言われ、戦争がもたらすものは憎しみや悲しみしかありません。1948年12月10日に国連総会で採択された「世界人権宣言」は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、出自などに関わらずすべの人に権利と自由を認め、その後の「子ども権利条約」をはじめ、さまざまな条約に影響を与えるなど人権に関わる世界共通の基準となっていますが、この世界人権宣言は過去の二度に渡る大戦の反省から採択されたという点においても重要な意義があります。

核兵器のない世界へ
 しかし、世界人権宣言に込められた人権尊重や平和への思いとは裏腹に、世界では国家間による戦争や民族・宗教の違いを理由とした紛争・対立が生じ、また核兵器の開発・実験なども行われ、現在では無差別テロ行為が解決の糸口が見えないまま各地で続いています。
 このような中で、2009年のオバマ大統領のプラハでの演説や、今年5月にニューヨークで開催されたNPT(核不拡散条約)の再検討会議の成果は、核兵器のない世界の実現に向けて期待されています。
平和への取り組み
 本市では、「平和を考える戦争展」の開催や、8月6日の広島平和記念式典に市民を代表して親子を派遣するなど、次世代を担う子どもたちに戦争の実態と今なお癒えることのない被爆地の実相を直接肌で感じてもらい、家族や親子で戦争や平和について語り合える場となることを願っています。
 昭和59年には「非核平和都市」を宣言し、同じように核兵器の廃絶や非核三原則を求める宣言をした自治体で構成される「日本非核宣言自治体協議会」や、世界各国の都市が国境を越えて連帯し、都市レベルから核兵器の廃絶を訴える「平和市長会議」に加盟しており、国内だけでなく世界に向けて核兵器廃絶を訴えています。
 また、平和モニュメント「昴」の設置や、平和市長会議が提唱する2020年までの核兵器廃絶を目指す具体的な行動指針「2020ビジョン(核兵器廃絶のための緊急行動)」にも署名しています。そして、被爆75周年の2020年に平和の祭典であるオリンピックが広島で開催されるよう、「2020年ヒロシマ・オリンピック」の実現に向け招致検討委員会の応援委員として招致活動を支援しています。
戦争を語り継ぎ、平和を語り合う
 かつて「もはや戦後ではない」という言葉が流行したように、高度経済成長を経て著しい経済発展を遂げ私たちは、平和な暮らしを手に入れましたが、この間にも世界では戦争が行われ、多くの一般市民が犠牲となっているという現実を知ることが必要かもしれません。
 また、核兵器による唯一の被爆国として、広島・長崎の悲劇をこの21世紀に再び繰り返さないためにも、また地域や家庭で身近な戦争体験者が少なくなっている中で、戦争や平和についてどのようなことを、いかにして語り継いでいくのかがこれからの課題だと言えます。そして、この世から戦争を無くしすべての人が平和に暮らせるよう、また被爆者が生きているうちに核兵器が廃絶されるよう、家族や友人など身近な人と話し合ってみることが大切です。

【親子平和の旅】
 8月6日に広島市で開かれた平和記念式典に、市民代表として井上 孝典さん・航輝(小学6年)さん親子が参加され、平和記念資料館の見学や「平和を考える戦争展」で市民のみなさんが平和への思いを託した折り鶴などを届けていただきました。
井上 孝典さん

 「やっと念願叶った」正直な想いです。20年余りずっと平和記念式典に参加したかったものの、学生・社会人時代を通じて足を向けることはありませんでした。機会がなかったといえばそれまでですが、「暑い」「仕事」などの言い訳をしていたのも事実です。その機会を与えて頂いたことに感謝いたします。
 2010年8月6日(金)「快晴」。うだるような暑さの中「平和記念式典」が行われました。以前からの感想ですが不思議とこの日は雨が降りません。ほぼ毎年テレビ中継を見てきましたが、私の覚えている範囲では快晴ばかりです。思えばこの「快晴」がヒロシマに人類初の悲劇をもたらす最終決定要因になったのですから皮肉なものです。
 私はずっと「人類は何故核兵器をもつのか?」という疑問を持っています。その答えとして「抑止力」という言葉をよく聞きます。持っていることで攻め込まれないというものです。使用することが人類の滅亡につながるものが「抑止力」になるのでしょうか。どこかの国が使えばそれで人類は終わりですが……。
 アメリカは広島・長崎の原爆投下について「戦争の早期終結の為のやむを得ない措置」のような発言をしています。日本人でさえ同調するような意見もあります。そのような人こそ広島の現実を直視すべきです。当時の惨状、今も残る後遺症を見聞し勉強すれば「仕方なかった」では済まないことがわかるでしょう。私も今回久しぶりに資料館に訪れ、その思いを深めました。
 今回の旅は「親子平和の旅」というタイトルがついていました。人類が生み出した最大の殺人兵器である「核兵器」を廃絶するのが人類にとっての悲願です。今回の式典に米英仏の代表ならびに国連の事務総長が初参列しました。大きな一歩だと感じます。道のりは長いですが、核兵器の無い平和な世界になることを願っています。
井上 航輝さん(小6)

 <資料館や平和式典に参列して>

 僕は、8月5、6日に平和記念資料館に行ったり、平和式典に参列したりしました。
 8月5日、資料館に行って、原爆について色々と知りました。例えば、原爆は原爆ドームの真上で爆発したのではなく、三〇〇m離れた所で爆発したことや、アメリカ軍の狙った場所は、相生橋だったと言うことがわかりました。
 衝撃的だったのが、皮膚がドロドロに溶けた人の模型や、爪が黒くなって伸び続けた人、黒い雨、爆風によって壊された相生橋などです。皮膚がドロドロに溶けたのは、「ケロイド」という症状です。ケロイドというのは、被爆した人の火傷の跡のことです。爆風によって壊された相生橋のことがたぶん一番衝撃的だったと思います。そもそも、原爆の力の割合は、50%が爆風、35%が熱線、10%が残留放射線、5%が初期放射線で、爆風が恐ろしいと思いました。
 8月6日、目的の平和式典がありました。5時半起きだったので、正直辛かったです。平和式典はテレビでは何度も見たことがあるけど、ハガキを出した時は、自分が平和式典に参列するなんて思っていませんでした。
 とても暑かったです。影がたまにできたのが良かったです。始まるまでが長かったから。でも、始まると早いもので、すぐに8時15分の黙祷になりました。黙祷は、いつも8月15日に甲子園でやっていました。甲子園の1分間の黙祷はいつも早く終わった感じがしたけれど、平和式典の黙祷は、長く感じました。
 驚いたのが、国際連合事務総長が、平和式典に出ていて挨拶をしたことです。国際連合事務総長が平和式典に出てくるのは初めてらしくて、それに立ち会えてびっくりしました。この2日間暑くてちょっとつかれたけれど、広島のことをたくさん学びました。