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親子平和の旅

つたえよう 広島の悼みと願い つくりあげよう 平和の21世紀を
 本市では、若い人たちに戦争の悲惨さや核兵器の非人道性を伝え、非核平和の願いを広げるることを目的に、毎年8月6日に開催される「広島平和記念式典」に親子を市民代表として派遣しています。

 今年は、久保田知子さん・直柔さん(小6)親子が市民代表として参加され、昨年の「平和を考える戦争展」で市民のみなさんが平和への思いを託した折り鶴と市長からの平和メッセージを広島へ届けていただきました。
久保田さん親子
「広島親子平和の旅に参加して」


久保田 知子 さん


 今まで、私は一度も広島を訪れたことがなく、「修学旅行で行ったよ」と友人から聞くたびに、広島は、いつか訪れたい場所のひとつでした。息子に「親子平和の旅」の話をすると、二つ返事で「行きたい」と答えました。たまたま「はだしのゲン」を読んでいたことが大きなきっかけとなり、また度重なる北朝鮮からのミサイル発射の報道で、平和への意識がいくらか芽生えたようでした。
 行くことが決まってからは、図書館で広島や原爆についての資料を借りて息子と事前学習をしました。「この世界の片隅に」を家族で見に行ったりもしました。「原爆ドーム」「原爆の子の像」「平和の鐘」「原爆供養塔」や原爆資料館の「焼け焦げた三輪車」「八時十五分でとまった腕時計」「熱線でとけたビン」は是非見たいものでした。現地ではボランティアガイドさんに案内・解説していただき、資料だけではわからない生のお話を聞く機会を得ました。とくに心に響いたのは、峠三吉の「にんげんをかえせ」の碑です。たった一発の原子爆弾で一瞬にして人間としてのあたりまえの日常、大切な家族、人間の姿まで奪われた悲惨さが伝わります。生きたまま火に焼かれる家族を助けだせず、逃げるしかできなかった無念さ。黒こげの死体。想像するのも恐ろしいことが現実にあったのです。目を背けずに事実を学び、次の世代へ伝えなくてはいけないと強く感じます。平和記念公園は、水辺がいたるところにあふれていました。熱線を浴び、体中を焼かれ、水を求めて亡くなった方々の霊を慰めるためというお話には胸が詰まる思いです。
 八月六日の平和記念式典では、広島市の松井市長が平和宣言で、原爆を「絶対悪」と強調しました。そして、「むごたらしい目に遭うのはあなたかもしれない」と警鐘を鳴らしました。今ある日常が当たり前のものではなく、みんなで意識して守っていくべき平和であることを次の世代につないでいきましょう。



久保田 直柔 さん(小6)



 戦争で被害にあった広島

 ぼくは広島へ行って、戦争がどれほどおそろしいかを改めて知りました。
 広島に行く前、ぼくには見てみたいものがたくさんありました。それは、原爆ドーム、とけたビン、焼けこげた三輪車、オバマさんの折りづるです。一番見たかったのは、原爆ドームです。理由は、広島と聞くと、原爆ドームを思いうかべるのと、中がどうなっているのか気になったからです。
 式典の前日ガイドさんといっしょに、原爆ドームを見ました。初めて見たときこわいと思いました。外壁はこげて、ガラスは、爆風でなくなっていました。
 式典当日、六時五十分に平和記念公園に行きましたが、すでにたくさんの人がいました。式典が始まり、八時十五分に一分間の黙とうをしました。次に広島市長の平和宣言があり、こども代表の平和への誓いがありました。このこども代表の男の子の下の名前がぼくと同じ直柔でした。漢字まで同じ人と生まれて初めて会いました。式典が終わり、資料館で見てみたかった、とけたビン、焼けこげた三輪車、オバマさんの折りづるを見ることができました。とけたビンは、ビンの原形がありませんでした。オバマさんの折りづるは、とてもきれいなつるでした。
 一番心に残っていることは、原爆による健康被害です。放射能は、家の中でも外でも、被害を受けます。そして、爆発がおさまったあとでも、家族をさがしに行った人までもが、原爆症になることを知りました。
 戦争というものがどれほどこわいもので、今の生活がどれだけ幸せであるかをこれからも考えていきたいと思っています。