とんだばやし歴史漫歩
八朔(ハッサク)
 字面の意味は八月朔日(8月1日のこと)がつづまったもの。親の代から富田林の住民とおっしゃる方ならば、河南町大ケ塚の「八朔市」を思い出されることでしょう。
 高度経済成長期以降に富田林へ移り住んで来られた人や若い年代には「はっさく、それ何、あの甘にがい果物のこと?」かも知れませんね。
 旧暦の8月1日、たとえば今年は8月28日がその日です。明治の日記をひも解くと−明治十三年九月五日、旧ノ八月一日村中休暇ナリ、大ケ塚八朔市。明治十六年九月一日、旧八朔二百十日也、同二日、内皆八朔二参ル拙モ孫ヲ連テ行。−このように、明治の初めに新しい暦が採り入れられてからも、しばらくは旧暦で「八朔市」が行われていました。
 大ケ塚も顕證寺を中心とする寺内町で、門前には金魚すくい、アメ屋などから荒物、履物、傘屋といったさまざまな店が出ていました。軽業やのぞきカラクリなどもあって「八朔」は河内一円の村休みの日だったのです。
 夏至から11日目の半夏生(ハゲッショ)から始まった農家の人々の「昼寝」がこの日で終わり、「夜なべ」が始まります。そう言えば、半夏生も村中休みでした。長い長い夜なべの季節に入る前の「八朔休み」。この日からまた忙しい毎日が始まるのです。
 現在、「八朔」はひと月遅れの9月1日が当てられます。辛うじて季節感を残しているものの「八朔休み」はもはや行われませんし、「八朔市」も昔日の面影もありません。
  (平成4年9月号)