とんだばやし歴史漫歩
五月五日
 「こどもの日」に男児の節句を祝う風習は、まだまだ根強く残っています。新婚旅行にヨーロッパやオーストラリアへ行く世代でも、親になるとわが子の初節句はそれなりに気にかかるようです。
 戦前や大正、明治のころの「5月5日」、人々はどのように迎えていたのでしょう。
 富田林のある裕福な家の場合−明治19年春、初節句の孫のために「心斎橋御堂筋数軒見較べ」てその内の一軒で「幟ヲ誂ヘ買」ます。5月27日には嫁の里へ招待状を出し、翌28日つまり旧暦の節句に、双方の老人二人が孫の初節句を祝って酒宴を催しています。
 が、このようなことは一般的ではなかったらしく、「このごろ、鯉のぼりが多いけど、昔はオヤケ(財産家)やったら、しはったか知らんけど、ふつうはせえへん。なかなか少ないわ。この辺では鯉のぼりは一軒も立ててなかった。戦後やで」(大正3年生まれの人)
 どの家でも見られた節句行事風景は、チマキのやりとり。長男の初節句を祝って、嫁の里からチマキが贈られてきます。これを町内全部に配るのです。
 新暦になっても、旧暦の節句で行われたのが、ショウブにまつわること。屋根にショウブの葉を投げ上げたり、賢くなるからとショウブのはち巻きをしたり、健康のためにとショウブ湯に入ったり。でも新暦の5月では、ショウブの葉はまだ生長していません。こうして辛うじて残っていた季節感も、ハウス栽培のショウブが登場するとともにその香りを失って行きつつあります。
  (平成4年4月号)