とんだばやし歴史漫歩
亥の子
 「イノコ イノコ イノコの晩に重箱捨て 中開いて見れば重兵衛はんの ハッチョロケ」。男の子らがこんなことを叫びながら、手には『イノコヅチ』を持って村中の家々を回って歩く。「ハッチョロケ」は「マックロケ」だったりもするが、そんな光景が富田林の各地でかつては見られたものでした。  時期は地区によって「11月末ころの亥の日」だとか「12月最初の亥の日」。元来は、「陰暦10月上旬の亥の日」ですので、明治初めに陰暦から太陽暦に切り替わったころから、時期は前後してきたのでしょう。ともかく、秋の収穫を終えて農家の人々はひと息つくころになります。そんなわけでこの日は「農家の休日」、「農作を祝い、来たるべき冬の準備に入る前の休日」などといわれています。あるいはまた、「子どもが悪さするのを喜ぶ神さんの日」だとか。亥(=いのしし)が多産であることから子孫繁栄を祝ったことと、秋の収穫祝いとがまじり合った行事といえそうです。
 休日や祝いと言えば、昔はモチがつきもの。アズキをまぶした『イノコモチ』を食します。『イノコヅチ』は里芋のズイキを芯にして、稲ワラでその芯を包むようにして巻いて作る長さ1メートルほどの棒です。「これで地面を叩くとバーン、バーンととてもええ音がする。音の競争や。ええ音の出る作り方は各自のウデ次第や」とか。この棒を持って男の子らは何人かが群れて、家々の玄関先で「バーン」「バーン」。大人たちは「悪さはあっちへいんどくれ」とばかりにおやつを持たせます。おやつを手にした子らは、次の家に向かう。あっちでバーン、こっちでバーンと音が響く中で夜が更けていきます。
(平成3年11月号)