埋蔵文化財発掘レポート
鏡の時代
 先月の2日、河南町の東山遺跡で、日本では数例しか類例のない非常にめずらしい鏡が発見されたと新聞で報道されました。
 この鏡は、4世紀に作られた2基の土壙墓と呼ばれる木棺を埋葬した穴から、直径6.5センチと8.1センチのものが出土しました。畿内では身分の高い人を葬る古墳から見つかる例が多く、小首長クラスの人を葬る土壙墓から出土する例はほとんどありません。
 古代の中国や日本の古墳から出土する鏡は、平板なガラス面に銀を蒸着させて作る現在の鏡とは違って、青銅や白銅を素材として鋳造した後にその表面を磨き上げる手法を用いています。
 技術的には、弥生時代においてすでに平面を意識した鏡が鋳造されていました。もちろん、鏡は中国ではじめて作られ、日本にもたらされました。いつごろから作られらかは定かではありませんが、考古学的資料によると、4000年前までさかのぼると言われています。
 さて、現在ホットな論争を巻き起こしているのが、卑弥呼の鏡、つまり「三角縁神獣鏡」です。
 魏・蜀・呉の中国三国時代の歴史は、3世紀の後半、西晋の時代に『三国志』として編さんされました。その中の「魏志倭人伝」に、邪馬台国の女王卑弥呼が魏に使いを送り、いろいろな品物が贈られましたが、その中に「銅鏡百枚」が含まれていたという有名な記事が載っています。
 日本の4世紀の古墳から大量に出土する遺物の一つに三角縁神獣鏡があります。この鏡の中には卑弥呼が魏に使いを送った景初3年(239年)やその翌年の正始元年(240年)の年号を刻んだものがあるために、卑弥呼がもらった「銅鏡百枚」の有力候補と考えられてきました。
 ところが、この鏡が中国で1枚も見つかっていないことや年号にはあり得ない景初4年(240年)の年号をもつ鏡が発見され、邪馬台国の所在地論争とともに三角縁神獣鏡をめぐる製作地論争にまで一石投じています。
 この話題の鏡が、富田林の真名井古墳からも出土しており、広く邪馬台国の鏡を考える上で、また、東アジアとの関係を考えるうえでも重要だといえます。
(平成7年7月号)