埋蔵文化財発掘レポート
発見された遺跡 谷川遺跡
 富田林の中心を流れる石川の西岸には、古くから集落をぬって旧街道である東高野街道が通っています。富田林市役所東方の江戸時代からの古い町並みが残る「寺内町」の中を石川に沿って南に進むと、右手に大阪府立富田林高等学校があります。
 富田林高校は地元では最も古く、建物も老朽化したため、一部改築されることになり、事前に大阪府教育委員会によって試掘調査が行われました。その結果、奈良時代から中世の遺物を伴った溝や建物跡の一部が発見され、富田林高校の校庭一帯が遺跡であることが判明しました。そして、当地が谷川町であることから「谷川遺跡」と名付けられました。
 昨年の6月から約5500平方メートルにわたって本格的な発掘調査が進められ、遺跡の全容がしだいに明らかになってきました。出土した遺物には旧石器時代、縄文時代から鎌倉時代のものまであって、古くから人々が生活していたことがうかがえます。建物跡などは弥生時代の終わりごろから鎌倉時代のものが確認されていて、確実に集落が存在したことがわかりました。また、現在の鉄筋コンクリート造の建物になる前の旧木造校舎時代の学校備品なども出土していて、当時を知る人にとっては懐かしい遺物もあります。
 今回の調査でもっとも注目されたのが、古墳時代後期(6世紀)の大規模な邸宅跡の発見でした。地面に一辺が約1メートルの柱穴を掘り、太さが30センチもある柱を建てた掘立柱(ほったてばしら)建物が数棟あって、最大の建物は113平方メートルの床面積をもっていて、片側に廂(ひさし)と軒先がついていました。この建物は東西2間、南北8間の建物で、極めて珍しいものです。これまで、奈良県桜井市の遺跡で2例が見つかっているだけです。この地は6世紀中ごろ以降に大和政権の宮都が置かれたところで、同じ宮殿クラスの建物が谷川遺跡で発見された訳です。
 さらに、調査地は旧南河内郡川西村大字高田にあたり、『日本書紀』敏達天皇12年(583年)の条に「下百済河田村」の地名が登場し、この河田が甲田と思われ、当時、集落が存在したことが推測されていることから、今回の大規模な邸宅跡が発見されたことによって、一層その可能性が高くなったといえます。
(平成7年3月号)