埋蔵文化財発掘レポート
古代の道
 近鉄川西駅の西方に足を進めると市立川西小学校に突き当たります。正門の北側には、錦織神社の参道が北に伸びています。この周辺は、弥生時代から近世にかけての集落跡である新家遺跡として埋蔵文化分布図に記載されています。
 今回発掘調査をしたところは、川西小学校と市立第二中学校の間を西に延びる道路の道端です。発掘に至った経過は防火水槽の新設に伴うものです。
 調査範囲は東西7メートル、南北4メートルと小さいものでしたが、ほぼ東西にはしる二本の溝の一部が検出されました。これらの溝は平行に延びていて、間隔がほぼ2メートルありました。また、この溝に挟まれた間は周りよりも約30センチ高くなっていました。
 この遺構はいったいどういう性格のものかと考えてみました。
 まず水田の畦と考えてみると、畦にしては広すぎます。条里制(正方形に囲まれた細長い地割りのたんぼが続いているもの)との関わりからも推測してみましたが、地割りの方向と溝の方向が合わず、どうも条里制に伴うものではなさそうです。
 次に道と考えてみると、現在の道路と平行であること。調査地周辺の小文字を調べると、宮口や新家口といった名前が、ちょうど調査地を境に北側にみられ、字境にあたることから道と考えるのが妥当ではないかという結論に至りました。
 発掘調査では、時期を推測する遺物が出土していないので、明確なことは言えませんが、周辺の発掘調査からその時期を推測することができます。すぐ北方にある川西小学校の調査では、中世の建物跡が見つかっています。また、錦織神社の調査では、神社が造営されたとしている室町時代前期より古い鎌倉時代の建物跡も見つかっています。このことから、中世にはこの道があったと思われます。  発掘調査では、調査面積の大小にかかわらず、検出された遺構や遺物から過去のさまざまな様子が浮かび上がってきます。すばるホールに通じるこの道は、古く中世にまでさかのぼることになります。
(平成6年3月号)