埋蔵文化財発掘レポート
弥生時代のお墓
 人々の生活する場は、数十年あるいは数百年もの間、同じ場所で生活していることが多いものです。
 集落の遺跡を調査すると、住居址や溝などが重複していることがわかります。しかし、死者を葬る墓は、集落付近に造られ、そこに墓があるとわかっている期間は、その場所を避けることが多いようです。縄文時代には、竪穴式住居が建つ、村の一角に穴を掘って埋葬をすることが一般的でしたが、弥生時代になると人々は村から少し離れた別の場所に集団墓地を造り、埋葬しました。近畿地方では、方形に溝を掘り、その溝に囲まれた中央部に低く土を盛り上げた墳丘墓が造られました。一つの墳丘墓には複数の人々が埋葬され、供物を入れた土器が並べられていることもあります。このような墳丘墓を方形周溝墓といいます。
 近鉄喜志駅から東へすぐのところで実施した発掘調査で、今から約2000年前の方形周溝墓2基が見つかりました。周溝の幅は約1.5メートル、深さは約15センチで、供物を入れたと思われる土器が角地から出土しています。墳丘部は後世に削平されたため、埋葬されていた主体部は見つかりませんでした。また、6世紀前半の古墳時代には、墓の上から溝が掘られていて、このころには墓の所在が忘れられていました。
 喜志西遺跡で見つかった方形周溝墓は11基あり、方形周溝墓群の範囲については、現在整備をしている喜志駅前ロータリー北側を南限とし、旧170号線より西を東限とするということがわかってきています。北限及び西限については現在のところ不明ですが、いずれにしても近鉄喜志駅の北東に弥生時代の墓地が存続していたことは確かです。
(平成5年8月号)