埋蔵文化財発掘レポート
中世の城館
 昨年の11月から12月にかけて喜志駅から南東へ約800メートル、市民会館が建っている粟ケ池から東へ約200メートルの石川西岸に位置する中野北遺跡の北端で発掘調査を行いました。
 今回の調査地周辺は、中野町の集落の北側にあたり、一帯は水田となって広がっています。そのためか、調査地の西側の一部は、削り取られていて、遺構が残っていませんでしたが、東側ではたくさんの柱穴と思われる遺構が見つかりました。これらをくわしく調べると建物が建っていたことがわかりました。それぞれの建物は、南北方向、もしくは東西方向に建つもので、正確な規模はわかりませんでしたが、一つの建物については、東西の柱間寸法が一間、南北は二間以上あったと思われます。
 中野北遺跡の南には中野遺跡が、北には桜井遺跡があって、ともに石川と羽曳野丘陵との平坦地が最も広い、好条件の立地にあります。そのため、遺跡周辺は古くから集落があって、その中心には東高野街道が通っています。そして、集落の中心のには古いお寺があります。
 調査地の東方では、鎌倉時代から室町時代の瓦を伴う遺構があり、また、北方では、鎌倉時代の土器がたくさん埋まっていた井戸などが見つかっています。調査地付近には中世の城跡である喜志城跡があったとも言われていて、南北朝時代には軍事的な要所となっていたと思われます。
 これらのことから、付近一帯は中世には、おそらく館(やかた)などのりっぱな建物が建っていて、広範囲にわたって集落が広がっていたことがわかりました。
(平成5年5月号)