埋蔵文化財発掘レポート
発見された遺跡パート3
市民会館から喜志駅までの旧国道170号線沿いで、新しく遺跡が発見されました。 この遺跡では、桜井遺跡の北側に位置することから、桜井北遺跡(さくらいきたいせき)と名づけることになりました。
 今回の調査では、南北に流れる溝3条、溝から東側に2棟の掘立柱建物(ほったてばしらたてもの=地面に穴を掘って柱を立てた建物)など多くの遺構も見つかりました。 また、溝からは、古墳時代末から奈良時代にかけての土師器(はじき)や須恵器(すえき)が出土しています。
 ところで、奈良時代に聖武天皇が大仏建立の詔(みことのり=天皇のお言葉)を発した後、 恭仁宮(くにのみや)から難波宮(なにわのみや)に都を移した際に途中立ち寄ったとされる桜井頓宮(とんぐう=天皇の仮り住まい)というところがあったとされています。 この桜井頓宮のおかれた位置については、東大阪市と富田林市の二つの説があります。両者が桜井頓宮とされる理由は、頓宮には欠かせないとされる清水を湧き出す井戸があることが古い記録に書かれていることにもとづいているようです。 東大阪市の桜井は郷名になっていますが、富田林市の桜井は郷名にもなっていないことや、恭仁宮から難波宮へ行くには、東大阪市を通って行く方が近道であることなどから、桜井頓宮は東大阪市にあったとする説の方が有力とされています。
 しかし、今回発見された古墳時代末から奈良時代の掘立柱建物によって、桜井町に頓宮があった可能性も否定できないものとなりました。
(平成2年10月号)