埋蔵文化財発掘レポート
古代の炊飯具
 現在。私たちの主食であるお米は、いつごろから日本で食べられるようになったかご存知でしょうか。
それは、今から約2300年ほど前(弥生時代)に中国大陸から稲作が伝わったことによって始まりました。それまでの狩猟採集の生活に比べると、稲作は、一つの場所で確実に食べ物を得られ、保存できることから弥生時代の間に広まっていきました。
 弥生時代の遺跡(中野遺跡や甲田南遺跡など)を調査すると、しばしば土器の表面に煤(すす)が付いたものや内面に炭化物が付いたものが見つかります。このことから土器をじかに炉(ろ=火を焚くところ)に据え、お米と水を入れて炊いたと考えられます。
 さらに、古墳時代になると朝鮮半島から、かまど(料理を加熱調理するための道具)と甑(こしき=現代のせいろのようなもの)という新しい道具が伝わってきました。市内にある中佐備の須恵器窯跡では、甑が作られていました。そして、土器にじかにお米を入れて炊くと土の臭いや汚れが移るので、かまどに水を入れた甕(かめ)を据え、その上にお米を入れた甑を乗せてお米を蒸すという方法が行われるようになりました。かまどには、持ち運びのできる移動式のものと家の中に粘土や土で造り付けるものがありました。錦織遺跡では移動式のかまどが、中野遺跡ではかまど状の遺構が見つかっています。
 このように、お米を食べる習慣が全国に広まるにつれ、古代の人びとは、お米をよりおいしく食べるためにいろいろな工夫をこらしたことがわかります。
(平成2年3月号)