埋蔵文化財発掘レポート
中野遺跡出土の墨書土器
 むかし、日本人は文字をもたない民族でした。私たちの祖先が、いつごろから文字を用いるようになったかご存知でしょうか。
 5世紀の初めに百済(くだら=4〜7世紀に朝鮮半島の西南部にあった国)から漢字で書かれた仏教の経典(きょうてん=仏教の教えが書かれた本)が伝わってきました。これが日本に初めて伝わった文字です。
 日本人は文字をもっていませんでしたから、外国の文字である漢字を用いて日本語を書きあらわそうとしました。最初、文字を書くことのできたのは中国や朝鮮から渡来してきた人や日本の支配者層のごく一部の人たちでした。奈良時代に大宝律令(たいほうりつりょう=日本で初めてつくられた法律)が施行され、役所の仕事に文書が必要になり、急速に文字は人々の間に普及していきました。
 文字の普及を知るてがかりとして、墨書土器(ぼくしょどき)があります。墨書土器とは、土器に墨で記号・人物や絵を描いたものと文字を書いたものをいいます。この土器にしるされた墨書によって建物の名称や性格、住居跡とそこに住んでいた人の名前や地位、その他信仰・祭祀の様子などいろいろな情報を読み取ることができます。
 昨年から行っている中野遺跡の発掘調査で出土した遺物の中にも墨書土器があることがわかりました。中世の土師器(はじき)杯の底に「×」または「+」と読める記号か文字のようなものが書かれていました。
 今後、墨書土器の量がふえることによって、中野遺跡の性格がより明確になると思われます。
(平成2年2月号)