埋蔵文化財発掘レポート
中野遺跡出土の和鏡
 中野遺跡は、近年の発掘調査で弥生時代から中世に至る複合遺跡であることが確認されています。
 今年の5月から7月にかけて行った発掘調査では、弥生時代の溝・土壙(どこう=大きな穴)や中世の溝・井戸・土壙・ピット(柱穴などのちいさな穴)などの遺構を検出しました。その井戸のひとつから2面の和鏡(わきょう)が出土しました。
 鏡は、古くから弥生時代の中ごろに朝鮮・中国から日本に伝わってきます。そして弥生時代の終わりごろになると伝わってきた鏡をまねて日本でも鏡(倣製鏡=ぼうせいきょう)を造るようになりました。当時は銅などを鋳造して造られました。平安時代の終わりごろになると日本独特の分化が芽生え、鏡も日本独特のものが生まれました。これを和鏡と言います。
 今回出土した和鏡は、井戸の上層から2面の鏡面(姿を映す面)を合わせた状態で和紙でくるまれて出土しました。鏡は、裏側に松・竹・雀を図柄にした「松竹双雀鏡(しょうちくそうじゃきょう)」と呼ばれる室町時代後半のものとわかりました。
 鏡は、昔から墓に副葬したり祭祀(さいし)の道具として用いられたほか、生活調度として使われました。今回の出土例は、出土状況から化粧道具の一つと考えられ、集落が廃絶したときに、土中に埋まったものと推測されます。当時、鏡を所有していたのは貴族や豪族といった人たちでした。このことから。中野遺跡は豪族の館が建っていたと思われます。
 河内の国では、6遺跡6面の鏡が出土していて、今回が7例目の発見になります。
(平成元年11月号)