埋蔵文化財発掘レポート
錦聖遺跡の発掘調査から
 錦聖(きんせい)遺跡は、市内の南部にある大谷女子大学付近から錦郡小学校と外環状線にはさまれた錦聖町一帯にひろがっています。
 発掘調査を行ったところは、ちょうど錦郡小学校の西側にあたり、小学校より一段高い平坦地で、現在は水田になっていました。調査は、今年の1月から2月にかけて行った結果溝跡などがみつかりました。
 一番大きな溝は、幅約7メートル、深さ約60センチあります。南西から北東の方向に流れていたようです。調査地の北側は大きな谷地形になっています。この谷に向かって錦織公園のある羽曳野丘陵から流れる水を集めていたと考えられます。そして、この溝には室町時代の遺物が堆積していました。つまり、室町時代までは溝として機能していました。その後に、調査地一帯が水田化されたことがわかりました。
 この付近は、地元では聖音寺山(しょんじやま)と呼ばれています。その名の示すとおり、近くには聖音寺(しょうおんじ)というお寺があって、周りよりも高い地形になっています。このお寺は、現在無住の寺となっていますが、本尊の如意輪観音坐像を中心にして、右に薬師如来、左に大日如来を安置しています。
 本尊は、室町時代の形式を備えていると言われています。こうしたことから、今回発掘調査でみつかった溝とお寺の時期が一致することになり、調査地周辺が聖音寺の寺域であったと考えられます。このことは、溝の中に瓦が含まれていたことからも推測できます。
 当時は、また乱世の時期でもあり、当時の様子は定かではありませんが、織田信長の焼打ちに代表されるように、市内の村々も何らかの影響を受けて代わっていったのでしょう。そして、付近一帯はその後、水田となっていったと考えられます。
(平成元年5月号)