埋蔵文化財発掘レポート
タコを食べていた弥生人
 オクトパス=タコといえば、西洋の人々は、あのグロテスクな形からか、昔からあまり口にしてませんでした。日本でタコを食べるようになったのはいつごろからか分かりませんが、遅くとも弥生時代の中ごろには、大阪湾東南部沿岸と播磨灘沿岸で、タコ壺漁が行われていたようです。
 タコ壺漁は、タコが海底の砂や泥に穴を掘って潜り、外敵から身を隠したり、獲物を狙うという習性を利用したものです。タコ壺漁には、マダコ壺漁とイイダコ壺漁があります。マダコ壺より小型のイイダコ壺が、弥生時代の遺跡から出土していることからイイダコ壺漁の方が古くから行われていたと思われます。1本の太い親縄にたくさんの枝縄をつけ、その先にタコ壺を結んで海の中に沈めて使用したと考えられます。イイダコ壺は、高さ10センチ前後のコップ型の土製品で、口の下の部分に1か所孔(あな)があけられているものが弥生時代の中ごろに現れ、弥生時代の終りごろには、底に孔のあけられたものが作られるようになります。古墳時代には、現在のイイダコ壺漁と変わらない釣鐘形のものが作られるようになります。イイダコ壺漁は、2月から6月に最盛期を迎えます。この時期は、ちょうど農閑期にあたることから、収穫物の少ない春先に、タンパク源を補う貴重な食糧だったと思われます。
 弥生時代のとんだびゃしにおいてもタコを食べていたのではないかと思われる遺物が甲田南遺跡の発掘調査によって3点見つかりました。そのうちの1点は、口の大きさが約6センチ、高さ約7.5センチの底の丸いコップ型をしているところからイイダコ壺と推定されます。タコ壺の多くは、海岸近くの遺跡で見つかりますが、富田林のような内陸部で見つかることは、たいへんめずらしいことです。当時、泉州の海岸から20キロも離れた富田林までタコ壺を持ちこみ、どんな料理をしてタコを食べていたのでしょうか。きっと、グルメだったのでしょう。
(昭和63年12月号)