埋蔵文化財発掘レポート
発見された遺跡パートU
 近鉄長野線富田林駅の南東約200メートルの西友富田林店南隣りで、新たに遺跡が発見されました。
 この付近は、以前には遺跡の存在は知られていませんでしたが、開発工事に先立ち、埋蔵文化財の有無を確認する試掘調査を行ったところ、溝やピット(小さな穴)が発見されました。
 この遺跡は畑ヶ田(はたけだ)遺跡と名づけることにしました。この付近の小字名が畑ヶ田と呼ばれているからです。
 一般的に、遺跡の名前はその地名に由来しています。市内の遺跡を例にとると市域の最も北にあたる喜志町周辺には、弥生時代の集落跡である喜志遺跡があります。市域の西方を南北にのびる羽曳野丘陵中央部の東に平地を見おろす廿山(つづやま)地区には、古墳時代の豪族のお墓である廿山古墳があります。また、市域南部の近鉄長野線滝谷不動駅周辺の錦織(にしこおり)地区には縄文時代の集落跡である錦織遺跡があります。
 本格的な発掘調査は8月中旬から9月下旬にかけて行いました。その結果、奈良時代の掘立柱建物跡や溝跡、土壙(大きな穴)といった遺構の他に、時期は不明ですが、素掘り井戸(地面をそのまま掘った井戸)が検出されました。出土した遺物には、奈良時代のものに混じって古墳時代と弥生時代のものがありました。遺構のなかから出土した遺物のうち、いちばん新しい時期のものでその遺構が埋まった時期を決めるようです。
 今回の発掘調査によって、またひとつ奈良時代の集落の様相が明らかになりました。畑ヶ田遺跡周辺の当時の環境をみてみると、遺跡の北西約800メートルには新堂廃寺があって、この付近が市内における仏教文化の先進地域であったことがわかります。また、同寺の東方の中野遺跡(富田林税務局付近)に集落が営まれていたこともわかっています。
 畑ヶ田遺跡の発見は、同遺跡から中野遺跡にかけて奈良時代に一大集落が存在した可能性をうかがわせる貴重なものと言えそうです。
(昭和63年10月号)