埋蔵文化財発掘レポート
古代のすまい
 現在、川西駅の南に広がる甲田南遺跡を調査しています。ここでは現地表から約1mのところで弥生時代の竪穴(たてあな)住居や、平安時代の掘立柱建物などが見つかっています。このすぐ南は国道309号線が通っていますが、道路工事に先立つ調査でも建物群の続きが見つかり、このあたり一帯が古くからの集落跡だったと考えられます。
 竪穴住居は地面を数十p、ある時には1m以上も掘り下げた半地下構造の家です。普通、直径または一辺が5〜10mの円形あるいは方形のものです。周囲には雨水などが流れこまないように土を土手状に盛ったり、溝をめぐらせていました。出入りは斜めに据えられた木の板のはしごで行っていたようです。発掘すると、床面には柱穴や火を焚いた場所である炉、あるいは貯蔵用の穴などが残り、時には使用していた壺や甕などの土器もでてきます。
 縄文時代につくられはじめた竪穴住居は、縄文時代晩期から弥生時代中期にかけて飛躍的に数がふえ、建物の規模も大きくなります。古墳時代には盛んにつくられますが、その後は数も減り、衰退の一途をたどります。
 これに似た住居は旧石器時代にも例はありますが、床は浅くくぼめる程度で柱は特にありません。壁は環状にめぐらせた木材を地面に浅く突き刺し、上の方でひとつにまとめてつくられます。そしてその上を草や土で覆った簡単なものです。
 掘立柱建物も縄文時代にはじまりますが、この時代は一般の住まいではなく公共的な集会や祭りにかかわった私設と考えられます。この建物は柱と柱の間で壁を作り、床全面または一部を土間床とする平屋だてのものです。全盛期は竪穴住居とは違い、古墳時代以降になってからのことです。このように、発掘調査では建物の構造だけでなく、変遷あるいは当時の人々の生活の様子まで知ることができます。出土する土器だけでなく、地面にも人々の歴史が刻まれているのです。
(昭和63年7月号)