埋蔵文化財発掘レポート
円筒棺のお話
 昔、人は「死者」がよみがえると信じていました。そのために重い石を抱かせたり、体を曲げる屈葬(くっそう)という方法をとったりしていましたが、弥生時代になると木棺や石棺に納めて葬る例が多くなります。人を葬る方法は、縄文時代以降、地域や時期・段階によって異なっています。
 古墳時代は名前のとおり、古墳を造る風潮が続いた時期を考古学上の区分として用いた時代です。この時代、古墳だけがお墓ではなく、土壙墓(どこうぼ)・木棺墓(もっかんぼ)・円筒棺(えんとうかん)など、いろいろな方法がとられています。
 円筒棺は、府下では古市・百舌鳥(もず)古墳群でまとまって発見されています。石川の中・上流域ではじめて発見されたのが錦織遺跡の円筒棺です。円筒棺は前回にも紹介したように古墳の周辺でみつかることが多いのですが、堺市の土師(はぜ)遺跡では集落の溝の中から出土しています。
 円筒棺は、古墳時代の前期(四世紀)後半から末につくられはじめました。そして中期(5世紀)に最盛期をむかえ、後期(6世紀)にはその数も減っていきます。また最初から棺を目的として作られたものと、今回のように円筒埴輪や形象埴輪を転用して作られたものの2種類に分けられます。前者は、タガと呼ばれる凸帯を横方向だけでなく、縦や斜方向にもめぐらされたもので 、円筒埴輪からヒントを得たと考えられます。後者は、古墳にたてられている円筒埴輪や朝顔形埴輪、あるいは盾形埴輪と同じものを用い、2〜3本をつなぎあわせて1本の棺として使用しています。
 このように円筒棺は、発見されている場所や棺の作り方などから、埴輪を作っていた人たち、あるいは古墳の造営に携わっていた人たちによって作られたものと思われます。そしてその円筒棺に葬られた人たちも、生前はやはり同じように埴輪を作っていた人なのかもしれません。
(昭和63年6月号)