埋蔵文化財発掘レポート
喜志小学校の調査から
 最近各地で発掘調査がさかんに行われています。発掘調査では、昔の人が「どんな生活をしていたのか」とか、「どんなものを食べていたのか」とか「どんな器を使っていたのか」などいろいろなことがわかります。
 埋蔵文化財は、文字通り土中に埋もれた文化財ですから、予想どおりの結果が出るとは限りません。せっかく調査したのに、遺構も遺物も出ないことがあります。しかし、このような調査もとても重要なのです。
 今回は喜志小学校校庭の調査から紹介しましょう。
 喜志小学校は、喜志遺跡の南端にあたります。喜志遺跡は弥生時代中期(約2000年前)を主とした遺跡として古くから注目されています。現在調査中の場所では、溝やピット、井戸、土壙(大きな穴)が見つかっていますが、出土する遺物は弥生土器や石器ではなく、ほとんどが奈良時代のものです。
 昭和55年度に行われた喜志小学校内の調査でも、今回と同じ時代の遺構や遺物がみつかっています。
 喜志小学校周辺では、今まで十数か所調査が行われています。小学校から北へ200bほどのところでは、弥生時代の住居跡や、それをとりまく断面がV字形の溝、弥生土器や石器、石器の未製品がたくさん出土しています。
 このように、わずか200メートルでも離れると、遺構や遺物の様相が全く異なることがあります。
 弥生時代の集落は、小学校から北に広がっていたと考えられます。奈良時代になると、今回の調査でも明らかになったように小学校あたりに住んでいたようです。
 人間の生活していた痕跡は、地面の下にみごとに刻まれ保存されているのです。
(昭和62年10月号)