埋蔵文化財発掘レポート
錦郡小学校の調査から
 「いったい何が埋まっているのか?」・・・・・・こういう疑問と期待から発掘調査は始まります。
 まず、校庭の遊具を取り除き、機械で上から一層ずつ平らに掘りはじめます。現在の盛り土、田の耕土、床土といったように、少しずつ土を掘り下げていきます。
 今回は、浅いところで10aも掘れば中世や古代の人々が生活していた層が顔を出しました。
 これからは、人力だけで慎重に進めなければなりません。私たちが遺構と呼んでいる昔の人々が掘った穴や溝、建物跡がたくさんあるからです。全体をきれいにして一つひとつその遺構(穴)を見つけていくのですが、ほんの少しの土の色や質の違いで見分けなければならないので大変な作業です。
 次に、この見つけた遺構(穴)を掘っていくのですが、時々テレビなどでハケやヘラを使って作業をしているところが写ります。これはこの段階でよくみられる作業風景です。たとえば大きな土器や多量の土器がまとまって出てくればその位置や埋まり方を記録するために小さな道具でていねいに輪郭を出さなければなりません。この作業は、土器を壊さないように細心の注意を払いながら進めていきます。
 こうして掘り進めながら、一方では、建物跡であるとか、溝であるとか検討しながら図面を書きます。そして掘り残しがないかを確かめて写真を撮り、記録を残していくのです。
 今回の調査では、奈良時代の掘立柱建物1棟と、中世のカマド跡1基、その他性格のはっきりしない土壙(どこう=大きめの穴)やピット(穴)が数多く見つかりました。
 このようにして、私たちの祖先が残したものを記録保存しながら発掘調査を進めてゆくのです。
(昭和62年7月号)