埋蔵文化財発掘レポート
奈良時代の村の生活
 今年8月に錦郡小学校の敷地内を調査したところ、古墳時代から平安時代にかけての遺構が見つかりました。これまでにも錦郡小学校の南東で古墳時代の遺物が採集されていましたが、今回の調査では、とくに奈良時代の遺物が多く出土しました。ほとんどは食器や調理具で、貯蔵用のものも煮炊き用のものとともに、土師器や須恵器で作られたものばかりでした。
 同じ奈良時代でも、都であった平城京跡からは緑釉(りょくゆう)や三彩(さんさい)と呼ばれる美しい陶器が見つかっていますが、そんな高級な器は錦織南遺跡のこの村には縁のないものだったのでしょう。
 調査区の隅からは住居跡も見つかりました。といっても発掘されたのは、柱穴の跡だけなので、建物の姿を再現することはできません。しかし、いろいろな資料から判断すると、奈良時代にはそれまでの竪穴式(たてあなしき)住居に変わって掘立柱(ほったてばしら)建物が一般的になりました。これは地面に穴を掘って、そこに柱を立てる家です。おそらく、床は土間のままで、一部に板、もしくは草やワラを敷いて寝る場所などを作ったのでしょう。屋根は草や板でふいていたと考えられます。
 建物の面でも、郡の宮殿や大寺院に比べて、村人の生活はつつましかったようです。
(昭和61年12月号)