埋蔵文化財発掘レポート
畑ヶ田が、再びアツい
 現在、文化財課では市営住宅の建て替え工事に先立ち、畑ヶ田遺跡(若松町)の発掘調査を実施しています。
 畑ヶ田遺跡は弥生時代から中世にかけての遺跡で、その存在が明らかになったのは今から30年近く前になります。 近年の調査で一般的な集落跡ではなく官衙関連の遺跡ではないかと考えられるようになりました。官衙とは役所のような公的施設のことを指します。市内には、南河内で最古級の寺院跡と考えられる国史跡・新堂廃寺跡(緑ケ丘町)があり、一帯は飛鳥から奈良時代にかけて重要な地域であったと考えられます。
 これまでの推定では、畑ヶ田遺跡の北側にある中野遺跡(中野町ほか)が官衙関連の遺跡ではないかとされてきましたが、畑ヶ田遺跡で再考を迫るものが次々と見つかったのです。
 23年の調査では、奈良時代の銭貨を入れた「かめ」が見つかりました。この「かめ」は建物の安全を願った地鎮か、子どもの成長と出世を願い胎盤を一緒に入れた胞衣壺と考えられます。
 このような土器は平城京跡で多く見つかっており、都の風習を取り入れていたことがうかがえます。
 また、25年の調査では飛鳥時代のものとみられる「すずり」が見つかりました。
 墨と筆を使い文字を書くことは、当時の一般庶民には無縁で、役人がいた証になります。
 この他にも、遺跡内の広い範囲にわたって、直径が1b近い巨大な柱穴が見つかっており、大きな建物が並んでいたことも分かっています。
 今回の調査場所は、「かめ」と「すずり」が見つかった地点の中間に位置しており、調査開始時から既に、たくさんの土器が姿を現していることから、予想以上に遺跡が良好に残っていることが分かりました。
 これまでの畑ヶ田遺跡の中でも、最大規模となる今回の調査で、果たして官衙関連の遺跡である新たな証拠は発見されるのでしょうか。
 調査成果にどうぞご期待ください。
(平成29年3月号)