埋蔵文化財発掘レポート
鹿と古代人
 鹿と人間のかかわりは古く、1万年以上前の洞穴の壁に鹿の絵が描かれているのが世界各地で見つかっています。
 日本では、縄文時代(約1万年前〜2300年前)からいのししと並んで、大切なたんぱく源として食料にされてきました。
 また、鹿の角は釣り針やヤス、モリなどの魚を捕る道具として、あるいは、かんざしなどの装身具の材料としても利用されました。また、石をたたき割るハンマーにも鹿の角が使われました。
 弥生時代(約2300年前〜1700年前)になると、このような使い方に加えて精神的な面でも鹿が重要な役割を果たすようになります。吉凶を占うのに鹿の骨が焼かれ、また、祭礼の道具と考えられる銅鐸(どうたく)には鹿の絵が最も多く描かれています。また、日常生活の土器にも鹿の絵が見られるようになります。
 古墳時代(約1700年前〜1400年前)になると鹿のはにわが作られたほか、角は加工して刀の柄(つか)などに、皮はなめして弓を引くときのひじ当てなど、ますます広く使われるようになります。
 さて、富田林では、今のところ鹿の骨は出土していませんが、3年前近鉄川西駅南東の甲田南遺跡から鹿の絵が刻まれた弥生時代の土器片が見つかっています。また、今年2月に中佐備の須恵器窯跡(すえきかまあと)から出土した古墳時代の甕(かめ)にも鹿らしい絵が描かれていました。この2例の鹿の絵が富田林に住んでいた古代n人々と鹿とのかかわりを示す興味深い資料です・古代の土器にはさまざまな図柄が表現されていますが、最も多く登場する動物は鹿です。我々の祖先にとって鹿は何か特別な意味を持った動物であったに違いありません。
(昭和61年11月号)