埋蔵文化財発掘レポート
いま、畑ヶ田がアツい!
 23年に奈良時代の銅銭「神功開寳」を5枚入れた土器が見つかり、大きな話題になった若松町で、新たな発見がありました。市営住宅の建て替えに先立ち、25年7月から畑ヶ田南遺跡の発掘調査を実施したところ、陶製の硯の一部が出土したのです。
 硯といえば、皆さんは石でできた四角い形の硯を思い浮かべるでしょう。
 現在のような石の硯が使われるようになったのは、平安時代(11世紀)に入ってからです。中国や朝鮮半島からの影響を受けて日本で硯が作られるようになった飛鳥時代(7世紀)の硯は、土を練り固めて窯で焼いた陶製で丸い形の硯が主流でした。
 今回出土した陶製の硯は、割れていてショートケーキのような形をしていますが、もともとは直径約15・8aの円形の硯です。墨をする面の外側には、二重に堤が巡っており、堤に挟まれたくぼみに墨汁がたまる仕組みになっています。
 珍しいのは、墨をする面を支える台の形です。高さ約3・5aの中が空洞の円柱を下から四角く切り取り、残った部分を脚にしています。脚と脚の間には、装飾用と思われる穴があけられています。
 では、この硯はいつ作られたのでしょうか。困ったことに、時期の分かる土器と一緒に見つからなかったので、硯の形から推測するしかありません。
 奈良時代(8世紀)の都である平城京から出土している約1000点の硯には、今回出土した硯と同じ形のものがありません。堺市と京都府の遺跡で、形の近い飛鳥時代の硯が出土していることから、今回発見された硯は飛鳥時代に作られたと考えるのが妥当なようです。
 さて、硯の発見はこの地で筆と墨を使っていたことを示しています。当時、文字は役人や僧侶など限られた人しか書いておらず、一般民衆には無縁でした。
 このことから、「畑ヶ田」の小字名が残る若松町には、飛鳥から奈良時代にかけて、地方の役所のような公的施設が存在した可能性が高いと考えられるようになりました。
 そこで、このたび畑ヶ田にスポットをあてた歴史講座や展示会を実施することになりました。皆さんの参加をお待ちしています。
(平成26年3月号)