埋蔵文化財発掘レポート
中野遺跡の調査
 中野遺跡は、近鉄富田林駅と喜志駅の中ほどにあり、西は国道170号線(外環状線)から東は石川の手前まで広がっています。
 この場所は、地盤がとても堅くしまり、段丘上からは眺望が開けています。さらに、石川が眼下にあり、水の確保にも適していたと思われます。
 今までの発掘調査から、石川を望む河岸段丘上では、縄文時代から、人々が住んでいたことがわかっています。また、弥生時代以降の集落も確認されていて、特に、中世以降は、規模の広がりをみせています。なお、近世には東高野街道が南北にはしり、大いに利用されていたと思われます。
 今回の調査地は、遺跡の西側(旧170号線から外環状線の間)で、富田林税務署の東側にあたり、一帯は、水田が多く見られるところです。
 調査の結果、遺跡の中心部とは、かなり様子が違っていました。地盤は粘質土で、溝状の遺構などが確認されました。また、遺物も少なく、あまり生活感が感じられませんでした。
 幅約1.6メートル以上、深さが約0.5メートルあった東西方向の溝状の遺構は、現在の水路のすぐ近くにあり、ほぼ同じ方向に掘られています。このことから、この遺構は、水田に伴う旧水路として使用されていた可能性を考えました。
 また、この遺構から南北方向には、幅約0.4メートル少し小ぶりの溝状遺構が2本確認されています。この遺構の間は、約6メートルでほぼ平行に延びていました。
 おそらく、水路から水田に水をひく支流と想像され、ここからは、土師器、須恵器、瓦器片、瓦などの遺物が出土していて、中世から近世にかけて利用されていたと思われます。
 今回の発掘調査から、調査地の周辺に水田が開けていた可能性が考えられます。
 今後は、石川を望む河岸段丘上に広がる集落との関係を模索していきたいと思います。
(平成14年1月号)