埋蔵文化財発掘レポート
桜井遺跡の調査
 桜井遺跡は、粟ケ池と石川の間に広がる遺跡です。ここからは、縄文時代から中世の遺物が確認されています。
 古事記の仁徳天皇一三年条に「冬十月、和珥池を造る」という記述があり、この池が粟ケ池と考える説があります。それは池の西側に鎮座する美具久留御魂神社が別名、和爾神社と呼ばれているためです。このことから、この地は古くから開かれていたことが想像されます。
 今回、発掘調査を行った場所は旧国道170号線から少し東側に入った所です。調査の結果、平安時代の皿、甕、椀といった日常雑器が流路と思われる底から多数出土しました。
 さらに、この流路の東側には、時期はわかりませんが、建物に関係すると思われる柱の穴が見つかりました。ここは地盤も固く、周囲よりも地形がやや高くなっていることから、建物群があったことが想像できます。
 時代は下がりますが、調査地のすぐ西側に東高野街道が南北に走っています。この街道は近世に高野山などへの巡礼の道、または生活の往来の道として大いに利用されていました。
 おそらく、近世以前も道として利用されていたと思われ、今回の調査地との関係が注目されます。
 また、日本書紀の安閑天皇元年十月十五日条には、桜井屯倉の記述があり、この屯倉が桜井町にあったとする説があります。
 屯倉とは朝廷の直轄領で、ここで収穫された稲を蓄積する倉を指します。米を取るためには、水の確保が問題になりますが、粟ケ池があるため、大きな問題にいたらなかったと想像されます。また、輸送手段についても、東高野街道の前身の道があると仮定すれば、障害がなくなると思われます。このように、調査地の周辺は、生産手段と交通手段が整っていたと考えることができます。
 今回の調査地も、立地条件を大いに生かした場所であったと想像されます。
(平成13年7月号)