埋蔵文化財発掘レポート
眠りから覚めた塔心礎
 市内緑ケ丘町の府営住宅内に広がる新堂廃寺は、昭和の初めごろから有名で、南河内最古の古代寺院として知られています。飛鳥時代の瓦が多量に出土することから、4年前から富田林市教育委員会による発掘調査が続き、新堂廃寺の全容がかなり明らかになってきました。しかし、飛鳥時代(7世紀中ごろ)の建物遺構についてはその実態があまりよく分かっていませんでした。例えば、塔についても白鳳時代(7世紀後半)に再建された基壇遺構は今から約40年前に調査され、その状況はすでに報告されていましたが、創建時の塔についてはもう見ることができないと考えられていました。ところが、昨年9月に始まった発掘調査で、創建時の塔跡が現れたのです。
再建後の塔と同じ大きさの基壇遺構がその50センチすぐ下にありました。さらに一辺13.5メートルの正方形の塔基壇の真ん中には塔の中心に立てられた心柱を支える心礎石が地下に埋れていました。心礎石は飛鳥時代に塔を建てるために整えられた地面を掘り込んで据え付けられていました。どっしりとした心礎石は葛城山産の花崗岩製で五角形の平面形の中央には心柱を立てるための円形の柱座が浅く彫り込まれていました。心礎石には舎利(お釈迦さまの骨)を埋納するために舎利孔が穿たれていなかったことから、舎利は心柱の上部に納めていたと推測できます。
 塔は7世紀中ごろに建てられますが、すぐに倒壊したらしく、7世紀後半に同じ位置、同じ規模、そして同じ心礎石を使って建て直されます。その再建された塔も12世紀末には焼亡してしまいます。その後、世の中からすっかり忘れ去られていた新堂廃寺が20世紀の終わりに長い眠りから覚めたのです。
 発掘調査期間中には11月18日の現地説明会の日を含めて、約1000人の人々が新堂廃寺を訪れました。大勢の人たちの関心を呼んだ新堂廃寺、21世紀にも保存しながら、もっともっとその様子を明らかにして、活用していきたい遺跡の一つです。
(平成13年1月号)