埋蔵文化財発掘レポート
喜志西遺跡の発掘調査
 近鉄長野線喜志駅の東側は現在多くのマンションなどの建物が立ち並んでいます。しかし、このあたりには、今から約2000年前の弥生時代に、喜志小学校の北側の集落に住んでいた人々のお墓がありました。
弥生時代のお墓には、方形周溝墓と土器棺墓があります。
 方形周溝墓とは、周囲を四角に溝をめぐらせたお墓で、一辺が約7〜10bあり、溝に囲まれた部分には1人もしくは数人が葬られたいます。また、土器棺墓は、大きな土器を組み合わせて棺としたお墓です。
 喜志駅周辺でも、これらが駅の東から北東にかけて、これまでに十数基見つかっています。
 今回、駅の東出口のすぐそばで発掘調査を行いました。この東隣で方形周溝墓が4基見つかっていて、今回の地点にもお墓がある可能性が考えられることから調査することになったものです。
 しかし、この地点からは、溝や土坑(大きな穴)が見つかっただけでした。
 数条見つかった溝は、その中から土器などが出土しておらず、これらの中にお墓の周りをめぐらせたものがあるかどうかはよく分かりませんでした。
 喜志駅の西側ではお墓が確認されていないので今回の地点が西端にあたるのかも知れません。
 また、用途の分からない土坑もいくつか見つかっていますが、柱穴や人々た生活していた様子は見られませんでした。
 今回の調査では土器などの遺物もほとんど見つかっていません。
 大阪外環状線と旧国道170号線の間の部分は周りに比べて低い地形で、喜志駅のあたりは谷の底にあたります。駅の南側にある粟ヶ池はこの谷をせき止めて造られたものと考えられていて、駅周辺にはその前に流れていた川の跡が見られることも分かっています。
 昔の人たちは水を利用するために川の近くに集落を営むことが多いのですが、洪水が起きたときに被害がでないような少し高い部分に住みます。喜志駅の周辺はこの辺りでは最も低い部分なのでこの辺りに集落を営まなかったのだと思われます。
(平成13年1月号)