埋蔵文化財発掘レポート
富田林寺内町ができるまえ
 富田林市の中央にある富田林寺内町は、永禄年間(1558〜1570年)に証秀上人が「富田の荒芝地」を領主から買い取り、興正寺別院を中心とした町を造ったのがその始まりで、江戸時代には南河内の経済の中心地として発達しました。現在でもそのころの町並みを残していて、多くの人たちが訪れています。
証秀上人がこの地を買い取った当時は荒れ地だったわけですが、それより前にはどんな様子だったのでしょうか。
 今回、興正寺別院の南東で発掘調査をしました。この辺りの地形は西から東に傾斜していて、石川に向かって低くなっています。そしてこの傾斜地で、今から約1300年前の飛鳥時代に建物が建てられていたことが分かりました。
 建物は掘立柱建物と呼ばれるもので、柱を礎石の上に置くのではなく、地面に掘った穴に柱を据え、穴を埋めることで柱を固定したものです。建物の大きさは南北6.3メートル、東西3.6メートルで、南北4本、東西3本の柱が立っていました。
 この建物は傾斜のきつい東側の部分を避けて、調査地の中でも比較的傾斜がなだらかな西側の部分に建てられています。また、柱を据えるための穴が西側に集落が広がっていることが考えられます。
 飛鳥時代は先般新聞報道が建てられた後に、傾斜地を水平にするために土を盛り上げた様子を確認することができました。この整地が行われた時期については、この土を掘り込む形で江戸時代の遺構が造られているので、寺内町を造る段階で行われた可能性があります。
 今回の調査で、寺内町ができる前にもこの辺りに集落があったことが分かりました。その後、一時は荒れ地となっていたこの地に寺内町が造られ、それが現在にまで受け継がれているのです。
(平成11年8月号)