わたしのまちの文化財
名勝龍泉寺庭園
 今回は、嶽山の中腹に位置する龍泉寺をご紹介します。
 この寺には「昔、悪い龍(竜)が池に住んでおり、あらゆることに害を与えていたため、推古天皇2年(594年)、蘇我 馬子が寺を建てたところ龍は退散した。ところがその後に、池の水が枯れ、村人たちは困ってしまった。そこに弘法大師が訪れ、祈とうしたところ、清らかな泉が湧き出し、その後、水が枯れることはなかった。このことから龍泉寺と呼ぶようになった」という寺伝があります。
 このように伝えられている龍泉寺ですが、寺について書かれた資料はあまり多く残されていません。この近くに、楠木 正成によって築かれた嶽山城などがあり、南北朝時代に何度も戦乱に巻き込まれたためです。
 発掘調査の結果、境内のあちこちから遺構や遺物が出土し、かつては23もの坊院が立ち並ぶ大寺院であったことが分かりました。しかし、江戸時代の絵図を見ると、坊院の数は5〜6まで減っており、このころにはすでに規模が縮小されていたようです。
 龍泉寺には、国の重要文化財に指定されている鎌倉時代の仁王門、府の指定文化財に指定されている鎌倉時代の木造金剛力士立像や南北朝時代の聖徳太子立像と像内納入品などが残されており、隆盛を極めたころの姿をうかがうことができます。
 また、寺名の由来にもつながる庭園は、この地方に珍しい鎌倉時代のものとして、国の名勝指定を受けています。静寂な雰囲気の中、嶽山など周囲の環境と一体となって非常に奥深い景観をつくり出しています。
 しかし、近年は災害や長年の風雨などによって、庭園の池やその中に設けられた小島の護岸が侵食されて倒木が目立ってくるなど、景観が損なわれつつありました。
 そこで18年度に、名勝庭園整備検討委員会を設置し、翌年度には実測調査に着手しました。続いて21年度から、保存修理事業が開始され、数年後の完成に向けて、池や小島の護岸修復、樹木の手入れや間伐などが進められています。
 地域の財産として、将来にわたりこの美しい景観を引き継いでいきたいものです。
(平成23年9月号)