わたしのまちの文化財
からすきが語る古代の歴史
 からすきは牛に引かせて田畑を耕す農具で、戦後に耕運機が普及するまで使われていました。韓(唐)から伝わった鋤、という名のとおり朝鮮半島や中国から伝わってきた道具です。
 からすきは、朝鮮半島から伝わった「朝鮮系」か、中国から伝わった「中国系」、あるいはこの二つの特徴を持っている「混血型」の三つに分類することができます。最近の調査で、そこからそれぞれの地域の古代史を読み取れることが明らかになってきました。
 調査の結果、南河内地域のからすきは、すべて中国系でした。古代の南河内地域には、朝鮮系の渡来人がたくさんやってきたという歴史が古文書などに残されていますが、なぜ中国系からすきばかりが使われてきたのでしょうか。
 その理由は、飛鳥時代までさかのぼると見えてきます。大化の改新以後、天智天皇が中央集権国家として中国の律令制を導入するため、遣隋使や遣唐使を通じて中国の文化を取り入れました。その一つとして中国系からすきを取り入れ、全国に普及させたと考えられます。
 そのため、特に政権の影響を強く受けていた当時の河内国の範囲(南河内地域を含む府南東部と和泉地域)において確認されたからすきは、すべて中国系でした。政権にとって、河内国がいかに強い支持基盤であったかがうかがえます。
 身近な農具として使われてきたからすきですが、その形は地形や土質といった特徴に応じて少しずつ変化してきたのではなく、その土地の歴史的な事情によって決まっていたのです。こんな意外なところで古代史の語り部に出合えるとは、驚くべきことです。
(平成23年4月号)