わたしのまちの文化財
歴史を語る古文書4
 古文書とは、中・近世から現在に至るまで、主に紙に書かれた歴史資料の総称です。その種類は、立派な墨筆の帳面から走り書きの紙片まで多岐にわたり、それらの古文書をひもとくことによって、当時の暮らしや、どんなことを考えていたのかが分かります。
 本市域にも、当時の村の公文書にあたる歴史的な資料が古文書として数多く残されており、今回は租税に関する史料を紹介します。
 江戸時代、租税(年貢)は毎年領主から村単位で賦課され、米とそれに代わる貨幣で納められました。年貢の負担は、当時の社会に生きるうえで最大の義務であると同時に、死活問題でもありました。
 領民が負担する年貢には、大きく分けて三つあります。まず一つ目は、田畑・屋敷にかかるもの。二つ目は、山林・原野・川・海など耕地以外にかかるもの。三つ目は、村の生産力に応じて課されるもので、領主によってさまざまですが、例えば幕府領では、浅草の幕府米蔵の諸費用、江戸城中の台所の使用人費用、五街道の宿場関係の費用が代表的です。
 このような租税を、領主がまとめて賦課する文書を総称して「免状」といいます。今の納税通知書にあたり、「免」とは租率のことです。秋ごろ、役人が村を訪れて作柄調査を行い、課税面積や租率を決定します。10〜11月、事前の激しい折衝を経て村に免状が交付されると、村役人は村民に年貢額を公開し、土地台帳を使って個別に年貢を割り当てました。期限までに納めきれない村民は、自分の土地を担保にするなどして都合しましたが、凶作などで困窮者が多い年などは、村の有力者がまとめて融通する場合もありました。
 12月末までに、指示通り年貢を納めると、翌春には「皆済目録」(支払証明書)が村あてに発行され、やっとその年の作業が終わります。
 幕府の支配体制は、この年貢によって成り立っていますので、取る方も必死です。領民は、役人の計算違いや不正を見抜く知恵と、巧みな駆け引きを行う政治力を総動員して、自分たちの生活を守る努力をしていました。
 このように古文書は、地域の歴史をより豊かにする大切な文化財です。今後も皆さんに、古文書への興味を深めていただく取り組みを進めていきたいと思います。
(平成19年8月号)