わたしのまちの文化財
杉山家に伝わる大太鼓
 旧杉山家住宅には直径90センチの大きな太鼓があります。太鼓の破れ目から中をのぞくと墨で書かれた文字が見えることからこの太鼓の 調査を行いました。
 皮の縁には文字が書いてあり、昭和25年に本市の人が皮を張り替えたことがわかります。また、部分的にそれより古い皮も残っており、「太鼓屋又兵衛製造」という墨書きが残っています。太鼓屋又兵衛は、江戸時代に「太鼓又」の名前で全国的に知られた渡辺村(現大阪市浪速区)の太鼓屋です。
 胴の内側には、張り紙や墨書きがありました。張り紙には400人分近い名前が並んでおり、その一割は女性の名前です。残念ながらこれらの人たちと太鼓との関係は分かっていません。
 墨書きには太鼓を寄付した人やその目的、太鼓を作った人の名前やその時期などが書かれていました。それによるとこの太鼓は文化13年(1816年)に、徳浄寺門徒の京屋佐右衛門が寄付主となって、吹田屋清兵衛、池田屋小治郎、吹田屋庄兵衛、播磨屋勘四郎、和州(大和屋)太右衛門らが制作にかかわったものであることが分かります。
 徳浄寺は渡辺村にあった浄土真宗の寺院で、京屋佐右衛門はその門徒総代を務めていた人物です。吹田屋清兵衛以下5人はいずれも渡辺村の太鼓屋です。これらのことから、この太鼓は京屋佐右衛門が先祖代々の菩提を弔うために、徳浄寺に寄付したものと思われます。
 胴にはこれらとは別の墨書きも見え、時期は不明ですが渡辺村の人が施主となって、村内の太鼓屋が皮を張り替えたことが分かります。また、胴の縁に明治時代の新聞が張られていることから、そのころにも皮を張り替えていることが分かります。しかし、渡辺村の寺院にあった太鼓が、なぜ杉山家に残されていたのかは分かっていません。
 太鼓は皮を張り替えることによって、200〜300年以上も使い続けることができます。市内にはこの太鼓のほかにも、古くから伝わる太鼓がいくつか残り、今も秋祭りなどで使われています。
(平成18年4月号)