わたしのまちの文化財
重要文化財『錦織神社』
 近鉄長野線「川西駅」を下車して、駅前の舗装された少し狭いなだらかな登り道を西へ向かい、およそ200メートルほど行ったあたりにこんもりと茂った森が右手に見えてきます。参道の入口には石の鳥居があり、私たちを出迎えてくれます。鳥居をくぐると長い参道が続き、天気のいい日でも木々が茂っていて少し薄暗く感じます。参道の両側には大木が連なり、境内の静けさは、都会の雑音から逃れてひと時の安らぎを感じさせてくれます。
 参道を抜けると急に視界が広がります。社務所前を通って奥へ入って行くと、そこに本殿があります。その両脇には、東側に「春日社」、西側に「天神社」の両摂社が並んで建てられています。
 ところで錦織神社は、もともと水郡(にごり)神社といわれ、古くは爾吾利天王ともいわれていましたが、明治40年に今の社名に改められました。現在の本殿は、正平18年(1363年)に建立され、明治45年2月8日に特別保護建造物に指定され、昭和25年8月29日に国の重要文化財になっています。両摂社は、昭和44年6月20日に同じく国の重要文化財に指定されています。
 この本殿は、屋根の形が特徴的で、少し丸みを帯びた形の唐破風(からはふ)といわれる軒の少しうえに千鳥(ちどり)破風という三角形の部分をのせた変化に富んだ形をしています。その例は、非常に少なく貴重で、この様式は、安土桃山時代から江戸時代にかけて多く造られた屋根様式の原型となり、日光東照宮本殿の拝殿も、この様式を取り入れているといわれています。
 錦織神社は、15年2月から16年10月末までの工期で本殿と両摂社の保存修理工事に入っています。本殿は、屋根のふき替え、塗装の塗り替え、壁の補修、排水設備などの設置を行い、両摂社は、全面解体して基礎からやり直します。今回の修理は、大規模修理としては昭和47年に屋根のふき替え修理を行って以来のもので、まさに30年ぶりの大掛かりな工事となります。完成すれば、これまで以上に荘厳な姿を私たちの前に見せてくれるに違いありません。
 なお、市民へも広く文化財に対する認識を深めてもらうために保存修理工事の見学会を行います。
(平成15年6月号)

注:保存修理工事は終了しましたので、現在は見学会は行っていません。