わたしのまちの文化財
嬉組の「お背板(セタ)」
 市の南西に位置する嬉地区には、「お背板など西国三十三度行者関係資料」が残っており、貴重な民間信仰の歴史を明らかにする資料として大阪府有形民俗文化財の指定を受けています。(平成10年2月4日指定)
 西国三十三度巡礼は近畿地方33か所の観音菩薩を安置した霊場を巡拝し、信仰を深めていくもので、江戸時代には最盛期を迎え、由緒ある古寺巡礼として現在も巡礼者が絶えません。
 また、巡礼に行けない信者が、家族などの供養を行者に頼み巡礼してもらうという風習が江戸時代初期から昭和30年代までの約350年間継続していたことがわかっています。このような行者組織の一つが嬉組です。
 行者は木製の今でいうリュックサックのような移動式簡易祭壇である「お背板」を背負い、数百もの「宿」と呼ばれる特定の信者宅を巡り、そこで「お背板」に納められた三十三所本尊の写し像の供養を繰り返し、そのうちの何軒かで宿泊しながら西国三十三番札所を数年かかって三十三度巡りました。
 嬉地区では今も「お背板」を大切に守り、年に二度、4月17日と12月17日に「お背板」や色々な祭り道具で集会所を飾り付け、西国三十三ヶ所の仏画が描かれた供養仏様をお祭りし、日待(ひま)ち(※)を行っています。
 行者を嬉組から出していたころも、必ずこの日待ちに行者が帰ってきて、仏間に「お背板」を開帳し、法事を行い、再び巡礼に出るということが江戸時代から行われていました。最近では、西国三十三番札所巡礼に、旅行気分で気軽に行く人も多いようですが、重い荷物を持ち、長い道のりを歩いた行者は大変だったことでしょう。
 ほかには富田林寺内町(富田林町)の北西に位置する浄谷寺にも富田林組のお背板が残っています。どちらも非公開です。
※日待ち:村内の同信者が特定の日に集まり、お籠(こも)りをすること。
(平成14年3月号)