わたしのまちの文化財
富田林の石塔
(1)石塔に刻まれた「楠氏遺跡里程標」の文字は、明治時代の有名な書家・日下部鳴鶴の筆。明治34年11月に楠氏紀勝会によって、河南鉄道として開通したばかりの富田林駅前に建てられたものです。
(本町)

(2)富田林開発記念碑は、寺内町の中心、興正寺別院の境内に建てられています。これは、寺内町を開発した証秀上人の偉業を顕彰するため、町の有志の発起により、明治28年に完成しました。建設費は当時のお金で800円かかったそうです。
(富田林町)

(3)重要美術品にも指定されている「十三重の塔」は、板持共同墓地にあり、地元の人たちによって大事に保存されています。戦後間もなく進駐軍が集会所の建設を代償にアメリカへ持ち帰ろうとしたという逸話も残されています。
(東板持町)

(4)喜志駅東側に建つ「聖徳太子御廟」と彫り込まれ巨大な石碑は、大正10年に大阪市内の篤志家によって建てられました。当時、喜志駅は大阪鉄道の「太子口喜志駅」という名前で、「御廟」への最寄駅として利用者が多かったようです。
(平成10年6月号)