わたしのまちの文化財
織田作之助記念碑
 “織田作(おださく)”と呼ばれ、親しまれていた作家をみなさんはご存じでしょうか。大阪庶民の風俗を描いた『夫婦善哉(めおとぜんざい)』の作者、織田作之助です。
 大正2年大阪市内に生まれた作之助は、昭和22年、東京にて34歳の若さで亡くなりますが、その2ケ月前まで、富田林寿町の実姉、竹中タツさんのお宅(市立第一中学校の北側)に身を寄せ、当家の一室で、絶筆となる『土曜夫人』を執筆していました。
 「ひょろっと背の高い、髪のボサボサの先生が、夜中に終電車で帰ってきては、家に入らんと家の横の溝で長い小便をよくしてましたな。やはり、居候の身やから気兼ねしてはったんでしゃろな。」「よく、青白い顔をした先生が、寺内町を散歩しているのを見ましたなぁ。」そんななにげない話から、織田作之助の人柄が忍ばれます。残念なことに、現在は、タツさんもお亡くなりになり、お宅も取り壊されて、当時の面影はありませんが、感慨深いことです。
 市では、このほど寺内町入り口近くの本町公園に、旧杉山家住宅(重要文化財)が生家の明星派の歌人”石上露子(杉山タカ)”の記念碑と並んで”織田作之助”の記念碑を設置しました。記念碑は、織田作之助の顔写真や自筆の原稿などをモチーフにしています。
 寺内町が緑のこの2人。面識があったが、どうかわかりませんが、”文化の里・富田林”をかいま見る思いです。
 みなさんの町にも、身近に心の文化財が残っているかも知れません。冬の一日、探してみるのもいかがでしょうか。
(平成7年12月号)