わたしのまちの文化財
興正寺別院の襖絵
 富田林寺内町の中核寺院である興正寺別院の本堂には、江戸時代前期の狩野派を代表する絵師・狩野寿石秀信が描いた襖絵が残されています。
 富田林村「村方様子明細帳」によると、興正寺院本堂は寛永15(1638)年に再建されたもので、その後元禄5(1692)年に大井屋八兵衛らの寄進によって、内陣の欄間彫刻や仏壇まわりが改造されました。元禄5年といいますと、寿石秀信が京都に住居を構えていたころで、襖絵もこのとき京都で描かれたものと考えられます。
 寿石秀信は、狩野永徳の門人狩野祖酉を家祖とする猿屋町代地狩野家に生まれ、父信政は探幽・尚信・安信らの本家筋とともに狩野派の地位確立に力を注いだ画人の一人です。
 寿石由緒書によると、寿石秀信の画歴は華々しく、御所・東宮御所・江戸城・大阪城・二条城などの画業に携わり、大作に筆を振るいました。しかしながら、その作品は長い年月の間に幾多の惨事に見舞われ、現存するものの数は、極めて少ないのが実情です。
 興正寺別院本堂の外陣を飾る「松図」「梅竹図」は、桃山時代の古風さを残す江戸時代前期の狩野派を代表する作品といわれ、寿石秀信が描いた各所の障壁画(※)が消失した今、大画面で残る数少ない作品の一つとして、その価値は計り知れないものがあります。

※障壁画:主として書院造りの建築の襖や壁貼付、天井などに描かれた絵画の総称。
(平成5年1月号)