わたしのまちの文化財
嶽山城址
 富田林市の南東、近鉄滝谷不動駅をおりて東に進み、石川をわたると右手にこんもりとした山、嶽山が見えてきます。
 この山の山頂一帯は、古代から石川谷を見下ろす重要な位置を占めており、南北朝時代には、楠木正成が嶽山城を築いた場所として知られています。嶽山城は、山腹に龍泉寺があることから、別名、龍泉寺城とも呼ばれています。
 「太平記」巻34(龍泉寺軍の事)にまるわる逸脱が記されています。
 嶽山の城には正成の子、正儀がたてこもり、北朝方は今の廿山のあたりに陣をとっていた。楠木軍らは、寄せ手が無理に攻めてこないことを知ると、100人ばかりを城に残し、木のこずえなどに旗をくくりつけて、大勢の兵がたてこもっているように見せかけた。ところがある時、土岐という一族の知恵のある老武者が嶽山をみて、山の上を飛ぶ鳥が少しも驚かないことに気付き、楠木軍の計略は見破られてしまった。土岐の一族500騎は夜明けに嶽山の城をおそい、これを見た他の武士たちもいっせいに嶽山に押し寄せ嶽山城はあえなく落城となった。
 「太平記」の記述は、すべて史実に基づいているわけではありませんが、後にこうした逸脱を生み出すほど長く続いた嶽山周辺での南北朝の争いも、1392年の両朝合体をもって終止符を打ちました。
  (平成3年3月号)