わたしのまちの文化財
富田林発祥の地 じないまち
 富田林の起こりは、今から432年前の永禄2(1559)年に、「富田の芝」と呼ばれる荒芝地を切り開き、寺内町という一向宗の自治都市が建設されたことに端を発します。富田林という呼び名は、このとき、寺内町建設を発願した証秀というお坊さんによって名付けられました。
 「富田の芝」とは、石川谷を見下ろす段丘状の台地で、現在の富田林町にあたります。証秀上人はこの土地に平和な極楽浄土の町を建設したいと願い、領主から約2万坪の土地を銭百貫文で申し請けました。町の建設は、周辺の4か村から集められた「八人衆」と呼ばれる町人の代表によって指揮されました。
 外周には土居を巡らし、竹を植え、四方に門をおく。町割は六筋七町を整然と区画し、辻々では道をずらせて見通しを妨げる(「あてまげ」という)など、戦乱を避ける知恵が随所に生かされています。
 このように計画的な町づくりがおこなわれた例は、日本の歴史のなかでも類をみず、都市史を探る上でも大変貴重なものです。
 富田林・じないまちは、400年の都市史を今に伝え、そこを舞台にくりひろげられてきた人々の暮らしを語る、生きた歴史の教科書といえます。同時に、現代に生きる生活環境としてもすぐれたものであり、文化の香り高いまちづくりに欠くことのできない素材でもあるのです。
(平成3年1月号)