わたしのまちの文化財
寺内町の町割り
 室町時代に建設された町として知られる富田林寺内町の町割り区画は、430年余りたった今も、生活道路として私たちの生活の中に息づいています。
 古文書によると寺内町の町割りは、建設当時は南北に6筋、東西に7町からなっていました。その後、宝暦3年(1753)から安永7年(1778)の間に1町が加わり6筋8町になりました。
 道路の幅はほとんど約2年半(4.5メートル)で、町の中心を南北に走る城之門筋だけは西端に「用心堀」を設けるため約3間(5.5メートル)になっています。道路はほとんど直行せず、「あてまげ」と言われるように、少しずらして見通しを妨げています。近畿では伊丹などにしか見られない独自の手法で中世末の都市建設の名残をとどめています。
 町割りの北側には排水用の堀を設け、汚水を流していました。また、北への出入口が4口あり、門を開いて堀に橋をかけていましたが現在は道路になり、その姿は残っていません。「用心堀」は現存し、今もなお排水路として利用されています。富山町には用心堀にかかる古い石橋があり、その耳石に「がん恵いはし」「岩永橋」の銘文が刻まれています。
 富田林寺内町は東高野街道や千早街道の道筋に当たり、交通の要衝を占めていたため、今でも町の外れに古い道標を見つけることができます。
 なにげない町角にも町の歴史を知るいろいろな文化遺産が残る町。あなたも江戸時代の古図を頼りに、タウンウォッチングに挑戦してみませんか。
(平成元年6月号)