・ 富田林は先史時代より人々の暮らしが営まれ、弥生時代には二上山周辺に産出するサヌカイトを利用した石器が喜志や中野において大量に生産され、交易を通じて近畿地方に広く流通していたものと思われます。また石川を望む丘陵上には石川流域に繁栄したであろう氏族の首長たちの古墳が多く造営されています。
・ 大陸から伝えられた仏教文化はこの富田林にも花開き、新堂廃寺等の寺院が建立され、また織物などの新しい文化を伝えてきた人々が、富田林の地に暮らしていたであろうことが推測されています。
・ 平安の時代には、今も秋祭り等でにぎわう美具久留御魂神社や佐備神社があり、室町時代には錦織神社も創建されています。
・ 太平記の時代においては楠正成の山城が築かれ、足利軍を迎え撃ちました。
・ 応仁の乱においても、いくつかの山城が築かれ、群雄割拠の後、治世が落ち着き始めた16世紀の中頃の永禄年間に、京都興正寺門跡第16世証秀上人が「富田の芝」と呼ばれていた荒地を買い受け、寺と町衆の協力によって寺内町が造営されました。
・ 浄土真宗の御坊を中心に形成された寺内町「富田林」は、江戸期には周辺地域の商品・産品流通の中核地として発展し、明治期には郡役場や税務署、旧制中学校、高等女学校等の施設が整備され、南河内地域の中心地として発展してきました。
・ 昭和25年の市制施行の後、高度成長期には大阪市近郊の住宅地として大規模な住宅開発が進み人口が急増し、これにあわせて都市基盤整備も進展してきました。
・ 近年は、施設や基盤の整備も一段落し、人口増加も落ち着き、良好な自然環境を有する郊外都市として成熟しつつあります。
・ 富田林は、歴史的経緯のなかで、古の時代においては、大陸の新しい文化を積極的に受け入れ、中世以降の封建的な時代においても一定の自治権を有し、寺内町を中心に独自のまちづくりを進め、大阪府内でも有数の集積を誇る南河内地域の中核を担ってきたまちです。また近代においても、石川や、田園地帯に広がる農地、山林等、自然の恩恵を受け、身近なみどりを整備し、自然環境と人々の暮らしが共存してきたまちといえます。 |